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北陸電力 有峰水力発電 ~ 日本が世界银行から貸出を受けた31のプロジェクト

水力発电への贷出


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建设中の北陆电力有峰ダム

1953年の最初の电力案件以降、世银の日本に対する贷出はしばらく鉄钢や造船などの重工业や农业の案件が続いていましたが、1958~59年、関西电力(黒部第四水力発电)、北陆电力(有峰水力発电)、中部电力(畑薙第一、第二水力発电)、电源开発(御母衣水力発电)と、相次いで电力案件への融资が调印されました。1953年の时との违いは、今回はすべてが水力発电だったということです。

1957年、视察のため来日した世银のブラック総裁に対して池田勇人大蔵大臣は、电力、鉄钢、运输などの分野に世银の融资を依頼しました。このブラック総裁の来日后、电力各社に対して世银融资の希望调査が行われ、その结果、有峰を含む复数のプロジェクトが具体的な候补にあがったのです。

その后、世银の调査団による现地调査、さらに追加的な説明资料で有峰开発计画の重要性がアピールされ、ついに1958年、北陆电力の交渉担当者であった金井北陆电力副社长が渡米し、ワシントンで世银との交渉にあたりました。4月末から行われた交渉は6月中旬には具体的な条件の詰めを迎え、27日に调印されました。

北アルプス?立山连峰に端を発する富山県东部を流域とする常愿寺川水系は水量が豊富で水力発电に适しています。北陆电力は、発足直后から水力开発を积极的に推进し、そのピークが1959年から1960年にかけて、この常愿寺川の上中流で6か所の発电所を运転开始、1か所の発电所を出力増加した、有峰プロジェクトでした。このプロジェクトは、1956年に有峰ダム建设所を设置、1960年にコンクリート打込みを完了し、高さ140m、堤顶长500m、堤体积157万?の大规模な重力式コンクリートダムが完成しました。最盛期には全国から4,000人の工事従事者が集まり、1956年から1959年にかけては越冬して工事が进められ、北陆电力が社运をかけて取り组んだ有峰プロジェクトは、着工から约5年の歳月と、资本金50亿円の时代に370亿円を超える巨费を投じて进められた大工事でした。世界银行がこのプロジェクトに融资した金额は2,500万ドル(约90亿円)で、北陆电力にとってこの贷出により低金利の多额の资金を调达できたことは、有峰プロジェクトが成功里に完了するうえでの重要な条件となりました。

世银の贷出は、北陆电力の経営合理化と电力会社间の协力にも少なからず影响を与えました。世银からの贷出を决めるに辺り北陆电力は、すでに契约缔结の経験をもつ関西电力(1953年、多奈川火力発电所)から情报を得て世界银行借款申込资料を作成したと记録にあります。また、世银は贷出の条件として各电力会社に、内部留保の充実による资本构成の改善、広域运営による経営の合理化などを要求しました。このように世银贷出は、电力会社の経営合理化を促进する役割を果たしたのです。

 

プロジェクトデータ

调印日:1958年6月27日
受益公司:北陆电力
対象事业:有峰水力発电(261,000办奥)
贷出额:2500万米ドル

 

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建设中の有峰ダム